- 1投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/05/07(土)17:21:01
- 下斗米伸夫『ロシア政治と宗教』 - 「東洋学術研究」第41巻第1号
- 4投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/05/07(土)17:27:00
- しかしこのプロセスは同時にさまざまな勢力の自由化をもたらし、それがソ連という枠組みに押さえられないかたちで出てくる。最大の問題は、実はウクライナ問題だったわけです。
ウクライナというのはキリスト教が最初にやってきた地域ですが、そこがロシアから抜ける、あるいはソ連から独立を主張する。
ウクライナのノメンクラトゥーラのモスクワに対する独立という要求が、ロシアに現れたエリツィンの勢力ともあいまって、ソ連邦という国家を一発の銃声なしに崩壊させた。
これが1991年12月25日のソ連崩壊であったことはご承知のとおりです。
その後ソ連が崩壊して10年たつわけですが、エリツィンの下で1992年初め以後経済の自由化、市場経済への移行、当時は同時に民主化と国民国家の建設ということも一つの大きな柱になったわけです。
しかしエリツィンの下で疑わしい結果しか生み出さず、生産は約4割ぐらい減退し、現在のロシアの国家予算は東京都のほぼ半分、国民の平均寿命は男性に関するかぎり、1991年からほぼ5才低下し、59歳まで低下している。
あるいは中国経済と比較しても、プーチンはわざと中国の5分の1といってますけれども、2分の1か3分の1くらいにロシア経済は縮小していくわけです。
それと同時に貧富の格差が膨大に起き、IMFのすすめた市場経済で民営化を急ぐ。その結果起きたさまざまな不平等、混乱、腐敗その他についてはお聞きになっているとおりです。