- 1投稿者:ゾルゲ 投稿日:2008/11/28(金)20:46:26
- コミンテルン = 共産主義の国際組織
共産主義インターナショナル、第三インターナショナル、国際共産党。
「共産主義のインターナショナル」という意味。
■概要
第二インターナショナルは、第一次世界大戦の際、加盟する社会民主主義政党がそれぞれ自国
の戦争を支持したために瓦解した。これに反対する諸派がスイスのツィンメルワルトで開いた国際
会議がコミンテルンの源流。十月革命後の1919年3月、ボリシェヴィキの呼びかけに応じてモスク
ワに21カ国の代表が集まり、第一回大会を開いた。
第二次世界大戦の勃発に伴って名実ともに存在意義を失い、1943年5月に解散した。
大東亜維新史観 概説
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5193993
http://jp.youtube.com/watch?v=EC2rwzYh890
- 4投稿者:コミンテルン 投稿日:2008/11/29(土)17:39:21
- 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html
わが国における日独関係史の研究は、日独防共協定や日独伊三国同盟の締結などに関しての
優れた研究は多いが、外交史などに限られ日独両国の戦争指導や同盟作戦の問題点などに関
する研究は殆どない。
この空白を埋めるのが本書である。
また、日独間だけでなく、日独両国の動きに対する米英ソ中などの動向―日米関係から日中、日
ソ、日英関係など多国間関係を複眼的に分析した。
さらに、第二次世界大戦への道程と、敗戦後の日本の現状をコミンテルンの視点で分析。
コミンテルンを加味した歴史が新しい視点を提供するであろう。
また、戦前の日本の対外政策は陸軍主導ではあったが、常に陸・海・外の三省が調整して国策を決めていた。
時には松岡洋右や白鳥敏夫などに代表される革新官僚が大きな影響を与えた。
これら革新官僚による戦後の外務省史観形成に対する責任の追求は隠蔽・改竄されている。
タブー視されてきた外務省の戦争責任や東京裁判史観への責任をも明らかにした。
コミンテルンから見た第二次世界大戦
海軍・外務省の戦争責任と東京裁判史観