- 1投稿者:むしろ「相手は他人」の自覚を 投稿日:2022/10/28(金)16:19:07
- それは「想像力の欠如」のせいか?
――むしろ「相手は他人」の自覚を――
https://imadegawa.exblog.jp/32863052/
■「相手の立場に」では解決せず
渋谷区での、
公園からのホームレス締め出しを支持する人たちについて、
「自分もホームレスになりうるという想像力が欠けている」
との声が出ている。
ただ、
これが本当に「想像力の欠如」の問題なのか、
私には疑問だ。
- 2投稿者:それは「想像力の欠如」のせいか? 投稿日:2022/10/28(金)16:19:39
- >>1
「公園からのホームレス締め出しを支持する人」が
ただ
「自分が若しもホームレスになったら」と真剣に考えても、
恐らく、
「自分なら出ていけと言われれば素直に出ていく」
という話にしかならないのではないか。
下手をすると、
「こういう入所施設が有るらしい。
自分ならそこに入る」などと
『親身なアドバイス』を始めかねない。
- 3投稿者:それは「想像力の欠如」のせいか? 投稿日:2022/10/28(金)16:20:34
- >>3
ただ単に
「相手の立場に立ってみて考える」とか
「自分も相手の立場にいつでもなりうることを
自覚する」だけでは
乗り越えられない溝は有る
(「『自分と相手は別の人』という一線を飛び越えて
『自分なら こう するのに なぜ そう しないのだ』と
外から『余計なアドバイス』をしてくる害」が
近頃むしろ目立つ)。