- 1投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/17(木)10:52:56
- 平成
1989年1月8日 – 2019年4月30日
- 2投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/17(木)10:54:58
- 1980年代、輸出産業を中心に快進撃を続ける日本に、欧米の圧力は高まった。とりわけ双子の赤字に悩む米国は、貿易赤字は日本のせいだと、さまざまな圧力を加えてきた。最初の主張は、「円が不当に安すぎる」というものだった。
1983年、中曽根・レーガンの首脳会談で「円ドル委員会」の開催が決まった。日米協議とされていたが、協議するのは、米国の一方的な要求をいかに実現するかである。
金利の自由化、金融市場の開放など、米国の要求を丸呑みしたにもかかわらず、円安・ドル高は、まったく変わらなかった。貿易は双方の行動の結果だから、相手国だけのせいにする限り、問題が解決するはずもない。
次に米国が問題にしたのは、日本の「輸出依存」である。外需に頼らず、内需を拡大せよというわけだ。「輸出しないで自分で使え、輸入も増やせ、門戸を開いて外資を受け入れよ」「そうすれば日本は効率化され、日本の構造は改革される」と、米国の要求を呑むことが日本の改革だという、勝手な言い分だった。
中曽根政権が、米国の意向に沿って作った改革提言が、かの有名な「前川レポート」だ。日本の「構造改革」の扉が開かれ、以後、米国が要求する「構造改革」は、それが本当に日本にとっての改革かどうか吟味されることなく、そのままそっくり日本の「改革」とされていく。
- 3投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/17(木)17:50:03
- 1985年9月、米国は、輸出を増やすべく、G5各国にドル安への協調介入を要請した。「プラザ合意」である。結果、日本は嵐のような急激な円高に見舞われ、「円高不況」に陥った。1年足らずの間に30%以上という前代未聞の円高だ。しかし、日本企業はなんとかこれを乗り切って、世界を驚かせたのである。
他国の資金なしに立ち行かない米国経済は、自らが望んだドル安で新たな問題を突きつけられた。プラザ合意とはまったく逆に、行きすぎたドル安の是正が必要となり、1987年2月、米国はG7各国に金利引き下げを要請した。「ルーブル合意」である。
いったんは要請を受け入れたドイツだったが、インフレ懸念が生じると、さっさと金利を引き上げた。合意より国益を優先したのである。しかし、日本は律儀に低金利を守り続けた。超低金利の継続は、大量のマネーを株式市場と不動産市場に注ぎ込み、日本の株価と地価を高騰させた。日本のバブルが「外圧」で生まれたと言われるのは、このせいだ。
- 4投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/17(木)17:51:37
- 時の米国大統領はパパ・ブッシュだ。そう言えば、ビッグ3を引き連れた、ブッシュ大統領の来日を思い出す。そして日米構造協議は、日米包括協議を経て、「年次改革要望書」へと進化を遂げる。すなわち日本は、毎年毎年、米国から対日要求を突きつけられるのが、恒例となったのである。
日本で改革と呼ばれるものは、ことごとく、年次改革要望書のリストに沿ったものである。とくに、小泉改革は、要望書以上の「改革」を実行する大盤振る舞いだ。
さて、1989年前後から盛んになったのが「日本異質論」である。今風に言えば、「グローバル・スタンダード」に反しているということだ。それにしても奇妙なのは、日本の中で「日本異質論」に同調した自己批判が始まったことである。
「異質な日本のやり方に固執すれば国際社会に受け入れられない」「非効率で日本の利益にもならない」「このままでは日本は生き残りが危ぶまれる」などなど。
日本異質論に与し、日本の従来のシステムを否定することが、公正で公平な改革派という評価が確立され、定着していくのである。改革派の主張は、あたかもなぞったように、米国の要求とそっくりだ。
- 5投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/18(金)05:22:23
- 1989年の年末、3万8915円の最高値をつけた株価は、年明け早々に、4万円を突破すると見られていた。しかし、翌1990年正月の大発会から株価は下がり始めるのだ。株価はやがて、3万円を割り、2万円を割り、下がり続ける。そして、1992年8月19日、最高値の約3分の1、ついに1万4309円まで暴落した。
日本のバブル破裂の傷が、かくも深く大きくなったのは、ひとえに政策の失敗である。バブル破裂が明白になってからも、「正常化」だとして放置し、対策をとらなかっただけでなく、下落をさらに加速させる誤った政策をとったからである。
「山高ければ谷深し」との見方は、こうした政策当局の誤りを隠蔽し、その責任を国民に転嫁するものでしかない。
日本の政策当局の、もっとも重大な問題は、意識的にバブルを破裂させたことである。ソフト・ランディングを図るべきバブルを、叩き潰したことである。日本経済が墜落したのは、政策当局が突然ガソリンを抜いたからである。
- 6投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/18(金)05:24:12
- 驚くべきことだが、三重野康日銀総裁は、「日本の株価と地価を半分に下落させる」と宣言し、実行した。日本経済の安定をめざすべき金融政策の責任者が、株価と地価を意図的に暴落させ、日本経済を崩壊へと導いたのである。
日銀の最大の失敗は、急激な金利上昇によって、意図的にバブルを破裂させたことである。破裂してからもなお金利を上げ続け、回復不能なまでに株価と地価を暴落させたのだ。単なる政策の遅れ、失策ではない。意図的、意識的な逆噴射だったのである。
株価がすでに2割近く下落していた1990年3月、日銀は、一気に1%という大幅な利上げを行い、8月にも0.75%の利上げを断行した。15か月という短い期間に2.5%から6%へ、金利は3.5%も引き上げられた。
通常でも、これだけ急激な金利の引き上げは、市場の調整能力を上回る。風が吹いただけでも破裂しかねない、パンパンに膨らんだ風船に、大鉈を振り下ろしたのである。風船は破裂し、空を切った鉈は、実体経済に深いひびを入れた。
- 7投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/18(金)14:59:14
- バブル潰しに使命感を燃やしたのは、日銀だけではない。大蔵省も同じだった。日本の不幸は、経済運営の車の両輪とも言うべき日銀と大蔵省が、共に、バブル破裂の経済的影響に無知、無関心だったことである。
株価が下がれば企業と銀行の財務が悪化し、実体経済に少なからぬ影響を与える。銀行融資が、不動産を担保としていることも知っていたはずである。地価が暴落すれば、担保割れが生じ、資金繰り倒産を招きかねないことを。融資の焦げつきで不良債権を抱えれば、銀行が融資をなお絞り込むことを。
企業業績が悪化すれば、個人の所得にも悪影響を与える。それは消費を抑制し、消費の抑制は設備投資の抑制につながる。景気は一層悪くなり、失業と倒産が増えて、地域経済が停滞する。
株価の暴落で損失をこうむるのは投資家だけではない。不動産を持たない人にも地価下落の影響が及ぶ。大多数の国民が年金や保険に入っており、その掛け金は、株式や不動産で運用されているからである。株価や地価の暴落は、老後の頼み、万一の備えである年金や保険を危うくする。
- 8投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/18(金)15:01:19
- 金利上昇と株価下落は、それ自体、地価を抑制する。政策を追加しなくても、地価上昇は、すでに歯止めがかかっていた。しかし、大蔵省は銀行に通達を出し、不動産向けの融資の伸びを抑制した。不動産融資の「総量規制」である。
さらに併せて、不動産業、建設業、ノンバンクなど3業種への融資を規制した。土地、不動産への資金の流れが、急激に狭められたのである。経済の血液ともいえる、資金の流れの滞りは、3業種に留まらなかった。そこで生じた目詰まりは、経済全体の資金の流れを滞らせたのである。
総量規制は、地価が下落し始めても続けられ、日銀が金利を下げた1991年7月になっても撤回されず、結局、1991年の末まで続いた。日銀、大蔵省という経済政策の両エンジンが、ともに逆噴射したのだから、日本経済が墜落したのは、当然の結果だった。
日銀と大蔵省の逆噴射で、どれほどの国民資産を奪い、どれだけ多くの国民生活が破壊されただろう。不況は、自殺を余儀なくされる人々を激増させ、餓死者まで出した。
- 9投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/19(土)05:21:01
- 橋本改革の最大の失敗は、「財政構造改革」である。名前は構造改革だが、中身は単なる「緊縮財政」、歳出の削減である。公共事業と社会保障を大幅に削減、消費税の増税、特別減税の廃止など、かなり強烈な緊縮財政を行った。
まだ介助が必要な病み上がりの病人に、健康体でも応えるような重い荷物を背負わせたのである。
消費税の増税で5兆円、特別減税の廃止で2兆円、いきなり7兆円の増税である。医療保険が削減され、サラリーマンの自己負担が1割から2割にアップ、薬剤費に一部自己負担を導入した。2兆円の社会保障を国民負担に転嫁したのである。計9兆円の国民負担増である。
公共事業の4兆円削減と合わせれば、13兆円のマイナスの景気対策が打たれたことになる。
日本経済は、まさしく逆噴射をかけられて、一気にデフレ経済と金融危機へ向かって落下し始めた。
- 10投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/19(土)05:23:52
- BISとは、Bank of International Settlements の略で、国際決済銀行と訳している。先進国の中央銀行総裁が集まって、国際的な銀行ルールを定める。そこで、8%以上の自己資本がなければ、国際業務を認めないことにしたのである。
BIS規制は、一見、金融市場の安定のための国際ルールのようだが、日本の銀行叩きという隠れた目的も持っていた。
BIS規制は、金融の安定ではなく、不安定化を加速することになる。BIS規準を満たせなければ、銀行自身の存続が危ぶまれる。自身が淘汰されたくなければ、借り手を淘汰せざるを得ない。銀行は、さらに借り手の選別を強めた。
経済が悪化すれば、不良債権が増加するのは理の当然である。不良債権の増加は、銀行の損失を拡大し、自己資本を減少させる。自己資本比率を維持するためには、さらに融資を控えねばならない。
銀行経営の健全化、金融市場の安定化を目的としたBIS規制が、不況の中で貸し渋り・貸し剥がしを行わせ、資金繰り倒産を増大させ、経済悪化の循環を招いた。BIS規制が金融危機の拡大に大きく貢献したのである。
- 11投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/19(土)12:04:26
- 1997年4月、日産生命が破綻した。日産生命を皮切りに、中堅生保がつぎつぎ破綻することになる。中堅とはいえ、世界に名を轟かせた「ザ・セイホ」の破綻である。
破綻の原因は超低金利である。バブル時代の予定利率は、5%から6%以上で契約されている。掛け金が、それを上回る利率で運用できなければ逆ザヤになる。前代未聞の超低金利で、逆ザヤが長期間続き、生保の体力は限界に達したというわけだ。
そして、破綻した生保は外資の軍門に降った。国内生保には買収・合併に乗り出さないよう、それとなく大蔵省から指示があったという。外資に買収させるためだ。
1997年11月の拓銀、山一の破綻で、一気に金融不安が広がった。1998年1月、大蔵省は、日本の銀行の不良債権は、77兆円と発表した。
1998年6月、かねて経営悪化が伝えられていた長銀=日本長期信用銀行の株価が急落し、金融不安が一段と進展した。長銀の株価は、3週間で3分の1近くまで下落した。
改革派である野党民主党は、ダメな銀行は大銀行といえども破綻させる方針の対案を提出した。自民党の中にも、改革派がいた。石原伸晃氏や塩崎恭久氏など政策新人類と言われた若手議員や、意外なところでは梶山静六氏が、これに与し、長銀を破綻させず延命させようとする小渕政権・大蔵省の方針に異を唱えた。
マスコミもこれに同調、「護送船団」の救済ではなく、「市場メカニズム」の尊重を訴えた。
- 12投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/19(土)12:07:01
- ちょうど時を同じくして、米国にも金融危機の火が今にも燃え上がらんとしていた。1994年の発足以来、年率40%を超える高利回りで世界に名を轟かせたLTCMというヘッジファンドが破綻の危機に瀕していたのである。
LTCMは、ノーベル賞を受賞した金融学者二人が、自らの理論を実践して高収益を誇ってきた。そのLTCMがアジアの金融危機、ロシアの金融危機への対応に失敗し、巨額の損失を抱え込んだのである。
LTCMの破綻が明らかになるまでは、米国は「ダメな銀行は潰せ」「大銀行といえども潰せ」と、改革派とまったく同じ主張を繰り返していた。それなのに、一転、主張を180度変え、「大銀行は潰すな」「ツービッグ・ツーフェイル」と言い始めたのである。
LTCMの破綻をめぐる日本の報道は実に興味深かった。「さすが米国、対応が速い」と褒めた。「米国の対応に見習え」との社説もあった。その米国の対応がいかなるものだったかというと、見事なまでの「護送船団」だったのである。NY連銀のマグドナー総裁は、LTCMに融資・出資をしている銀行を呼び集め、資本注入を要請した。日本のマスコミが批判してきた「奉加帳(ほうがちょう)」方式に他ならない。
1998年10月、米財務省の日本担当官は「初めから大銀行を潰せなどとは一度も言っていない」と言ってのけた。その後、彼らはまたもや180度の転換を見せ、小泉政権に大銀行を潰す構造改革を要求する。自国が安全圏に入ったからである。
- 13投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/20(日)05:04:40
- 小泉政権は、公共事業削減を打ち出した。公共事業が、国民の生命と生活をまもるための社会資本だということが忘れられ、国民自身が社会資本整備を拒否し、「ムダだ」「いらない」の大合唱なのである。
こうした日本の現状は、世界の中で異例である。各国が予算を拡大し、大災害に対応するための社会資本整備を急ぐ中、日本だけが逆に縮小しているのだ。
1998年、日本の公共事業の国家予算は14兆5000億円だったが、いまや半分以下の6兆5000億円。
もう10年以上も前、スクラップを見ていて気がついた。同時期に公共事業批判の記事が急に増え、しかも内容がどれも似通っている。「ひょっとして」と、大蔵省に電話して尋ねた。「公共事業批判キャンペーンをおやりになりましたか」と。たとえ事実でも否定すると思いきや、「もちろんやりましたよ」の返事があっさり返ってきた。「マスコミにすぐ使える資料も提供しました」と。
金利はゼロ金利といわれるほどに低く、地価は一時の何分の一にまで下がっている。これ以上低いコストで整備できるときは、そうめったにあるものではない。それなのに、一石五鳥にも六鳥にもなるチャンスをみすみす見逃したのである。見逃しただけではない。逆に削減したのだから、後世に申しわけの立たない大失敗だ。
- 14投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/20(日)05:07:54
- 「民に任せよ」「市場の判断」「自由な競争」「規制緩和」「小さな政府」を主張する小泉・竹中改革は、新自由主義と呼ばれる。「小さな政府」は、財政支出を抑えたい財務省の方針ともぴったり重なっており、さすが大蔵政権と異名をとるだけのことはある。
民間企業が営利追求を目的とする以上、安易な民営化は、国民生活の安全ネットの破壊につながる。たとえば派遣法である。最初に導入したのは小渕政権だが、当初は通訳などの専門職だけだった。今日のワーキングプア問題の元凶は、小泉政権が製造業への派遣を規制緩和したことである。企業は安い労働力を手に入れたが、国民生活は破壊された。
小さな政府を掲げながら、増税もすさまじかった。小泉政権下、税や保険料など国民負担は、13兆円近い増加である。
竹中経財相は、サッチャリズム、レーガノミクスを手本にしていたそうだが、彼らの状況と、今日日本がおかれている状況はまったく異なる。
当時の英米の問題は供給の不足である。しかし、日本に不足しているのは需要である。需要の不足は競争促進や規制緩和で補うことはできない。
日本の経済状況は、大きな政府を必要としている。需要を補うための景気対策も必要だし、社会保障の安全ネットの拡充も必要だ。しかし、もっとも政府の支援が必要な時期に、政府は国民を突き放した。景気悪化を放置しなければ、ここまで格差が拡大することはなかったはずである。
- 15投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/20(日)12:06:28
- 景気対策を求める国民の声に、竹中経財相はNHKの日曜討論でこう言い放った、「国民は政府が餌を与えてくれるのを待っていてはならない」「政府頼みでは経済はいつまでも良くならない。自助努力が必要だ」。
「不況、不況と言うが、ちゃんと高収益を上げている会社はいくつもあるではないか」「努力する人を支えるのが改革政権。小泉政権は、古い自民党のようにバラマキはしない」というのは、竹中経財相の持論だ。
「政府が餌を与える」という言葉に、「竹中大臣は国民を飼い犬扱いするのか」と、怒りの電話がNHKに殺到したそうだが、国民が怒るのは当然だ。国民は精一杯の努力を重ねているからである。しかし、努力すればするほど、景気が悪化するのが、この不況の特徴なのである。
売り上げが落ち、利益が出なくなった企業はリストラする。従業員の数を減らす。仕入れを抑え、経費を節約する。結果、失業者が増え、取引先の売り上げを落とし、回りまわって、また自分の売り上げを落とすことになる。
節約やリストラは、コスト引き下げで改善をもたらすかのように思えるが、需要不足の経済では、結局、更なる需要の不足、経済の悪化をもたらすだけなのだ。経済学で言うところの「合成の誤謬」である。一人一人にとっては合理的な行動だが、全体が、同じ行動をとることによって、逆に非合理的な結果を導いてしまう。
だからこそ、国が需要を追加しなければならないのだ。景気対策が必要なのである。この経済状況で、民に任せて放置するのは、政府の怠慢である。国民の努力ではどうにもならない不況だからこそ、政府が需要を増やす政策が必要なのである。それを、バラマキとしか認識できないのは、経済の現状を理解できていない証拠である。
(紺谷典子「平成経済20年史」2008年刊 p.304)
- 16投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/20(日)12:07:49
- この20年、日本経済は傷み続けた。立ち上がろうとしては叩きのめされ、また立ち上がろうとしては叩きのめされた。叩いたのは、日銀であり、財務省であり、米国金融であった。彼らは自身の利益のために、日本経済を犠牲にしたのである。
改革を裏で主導してきたのは、財務省である。「改革」と言われてきたものの多くが、財政支出の削減でしかなかったことを見ても、それは明らかだ。小泉改革の「官から民へ」は行政責任の放棄であり、「中央から地方へ」移行されたのは財政負担だけだった。
「郵政民営化」は、保険市場への参入をめざす米国政府の要望である。小泉首相の持論と一致したのは、米国にとっては幸運でも、国民にとっては不運だった。
改革のたびに日本人の生活が悪化してきたのは、不思議なほどである。本来、改革は、国民生活の改善をめざすものである。国民生活の悪化は、改革が国民のためのものではなかったことを示している。米国と財務省が主導する「改革」をやめれば、国民生活も、日本経済も良くなるはずである。
- 17投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/24(木)04:46:45
- 構造改革論者の多くは、この不況の原因を「日本型経済構造は競争が足りない。もっと競争を増やすためには自由化を」と分析します。あるいは「日本には過剰供給がある」と分析する人もいます。
需要より供給の方が多い。これは正しい。しかしこの場合、「需要が足りないこと」が原因だと、本来は指摘されるはずです。
しかし最近は逆に、「日本には会社も多すぎるし、銀行も多すぎる。だから供給が多すぎて、これが過当競争の原因になっているのだ。これを解消するには、倒産させて会社を淘汰しなくてはいけない」という説が堂々と語られるようになっています。
竹中平蔵さん、木村剛さん、福井俊彦さんら、小泉首相の周りにそういう説が流行っているのです。
面白いことに、「日本型経済構造には競争が足りない」と言う人たちが同時に「競争がありすぎる」と言うのです。これには笑ってしまいます。じゃあ、一体どちらなんですか。結局、彼らの狙いは会社を倒産させることです。
- 18投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/24(木)04:47:44
- 私は去年の11月に福井さんと会う機会がありましたが、彼もはっきり言いました。「日本の失業率はまだ低すぎる。少なくとも8パーセントに引き上げないと駄目だ。企業の倒産も増やさなくちゃいけない」と。
私の意見では、日米間の最もファンダメンタルな問題は、過去50年間、アメリカと比べ、どう考えても日本の経済が成功を収めたことこそが問題なのです。
日本型経済構造はGDPや輸出という伝統的な指標で見れば、非常に成功したと言えます。アメリカのシステムよりもはるかに成功する経済構造である。これが問題です。アメリカにとって。
40年間、日本の製造業はどんどん伸びて、どんどん輸出して、外国の資産がどんどん蓄積され、経済的にどんどん強くなった。ついにはアメリカを追い越し、世界一の経済大国になった。それと同時に、政治的なパワーもどんどん増えてくる、というのが自然な姿です。
たとえば円建て国債が当たり前になるような、世界が日本の都合に合わせて変わってくるような進化になるはずです。もちろん政治的にも軍事面で見ても、アジアあるいは世界で、日本の力が増えてくるはずだったのです。こういうシナリオが、アメリカには見えていたのです。だからアメリカは日本型の経済構造に反対したのです。
- 19投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/24(木)14:04:14
- そこにはイデオロギー的な問題もありました。日本のシステムが自分たちのものより優れているとは、死んでも認めたくなかったのです。日本がアメリカを追い抜いてしまった以上、本来なら誰が変化しなければならないのかは明白です。
アメリカのシステムが負けてしまったのですから、自然に考えればアメリカ自体が変化しなければいけないのです。
ところがそれは絶対にしたくない。いつもアメリカは、発展途上国が過剰な債務を抱えると、我慢して財政支出を減らさなければならないと「指導」してきました。それが今度はアメリカ自身が、それまでアメリカや国際通貨基金(IMF)がいろいろな国に対してしてきたアドバイスを、自分たちが受け入れなければならない状態でした。
政府の支出を減らしたり、国内構造を改革したり。その結果、通貨はもっともっと弱くなる。それで日本の投資をどんどん受け入れて、アメリカ企業がどんどん日本のものになる。これが自然な姿です。
しかし、その摂理に抵抗するように、アメリカはいくつかの対策を練りました。第一にアメリカは、イデオロギー的にアメリカ型のシステムの方が優れているという嘘をつきとおすことにしたのです。
- 20投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/24(木)14:05:14
- この不況の原因は、基本的に需要が足りないことにあるのです。実質経済成長率が潜在成長率を下回っている。そのギャップの分だけデフレになるのです。ギャップを埋めるには、需要を拡大しなくてはいけません。
需要、つまり名目GDPを拡大させるためには、実際に取引に使われるお金の量を増やさなくてはいけない。そうすると需要が増えてくるのです。
経済に回るおカネを増やすためには、中央銀行または銀行の「信用創造」を拡大しなければなりません。中央銀行はもちろん民間銀行でも無からおカネを作り出せる、特別な機関なのです。
バブル崩壊以降、外資に買収されたもっとも有名な例は、リップルウッドに買収された日本長期信用銀行です。リップルウッドへの長銀の売却は、まさに日本の失策の代表例です。
アメリカ側は「外資系も自由に買えるように、金融市場をオープンにしなさい。自由化しなさい」「銀行が倒産しても政府は支援してはいけない」などと言いますが、一方では長銀を買う際に、リップルウッドは日本政府から多額の保証をもらっている。非常に矛盾しているのです。
ハゲタカ・ファンドは、倒産企業を一番困った一番安い時に買おうとする集団です。ハゲタカ・ファンドは銀行を手に入れて、何をしようとしているのですか?取引企業の倒産です。
そういう集団が銀行を経営すると、返済を要求して企業を倒産させることなどいくらでもできるわけです。そうすれば彼らは、倒産させた企業を手に入れて儲かるのです。
- 21投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/25(金)05:19:01
- 日本型経済構造は銀行中心のシステムで、銀行の役割が重要です。どのセクター、どの企業におカネを配分するかを決め、高度成長を支えてきた。公的な役割があるのです。
アメリカ型のシステムではどんどん平等性が損なわれ、一部のお金持ちのエリート層と大勢の貧乏な人との格差がどんどん大きくなっていくのです。
1986年4月、当時の首相であった中曽根康弘の私的諮問機関で、元日銀総裁の前川を座長とする「国際協調のための経済構造調整研究会」による報告書、いわゆる「前川レポート」が提出された。
レポートには、「日本型経済構造も終わり、アメリカ型経済構造が導入される」と盛り込まれていた。
構造改革は、はっきり言えば、日本型システムをやめて、アメリカ型システムを導入することである。
ただしこのシナリオには、叩き台があった。前川レポート、あるいはその前身である佐々木レポートは、貿易交渉の際、アメリカから言い渡された要望書をもとに作られていたのだ。もちろんそこには、ウォール街の意向が強く反映されていた。
- 22投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/25(金)05:20:05
- 終戦後、日本の銀行はやはり不良債権の問題で頭を悩ませていました。戦時国債などを大量に保有していたからです。そうした巨額の不良債権を抱えていたのに、90年代の日本とは比べものにならないくらい、景気は急速に回復した。
理由は、日銀と大蔵省が、信用創造が回復するような政策を採ったからです。
まず日銀は、自ら作ったおカネを政府や企業に供給していった。さらに日銀は、銀行の抱える不良債権を簿価で買い取りました。それから復興金融金庫の活用です。
この3つの政策で、戦後の日本は急速に景気を上向かせることに成功したのです。1947年に設立された復興金融金庫による長期資金の供給では、国内全ての銀行による資金供給量とほぼ同額といわれるほど巨額だったのです。
銀行貸し出しにおける中央銀行の力と役割を理解していたのは、田中角栄さんだけでした。蔵相時代に、山一證券への日銀特別融資を決定したということです。
この10年間、山一證券みたいな危機が繰り返し起こったわけですが、田中さんがいたら、すぐに解決していたはずです。彼は日銀と信用創造の役割が分かっていた。だから日銀に直接命令を出して、特融を使って資金を増量させて景気を良くさせた。
- 23投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/25(金)13:38:33
- アメリカは市場経済だと言っているけれど、実際はGDPに占める政府直接需要が大きい。間接的にも、政府需要に頼る民間の企業が多いのです。
アメリカで国際競争力がある企業と言えば、政府からの受注が多い企業、つまり軍需産業です。これも政府主導と言えます。
つまりアメリカは、「政府の介入は駄目です。政府の指示を企業は受けてはいけません」と日本を批判しながら、自分たちも同様のことをしている。インターネットにいたるまで、いろいろな産業の開発・支援政策を、米政府はこれまでやってきたのです。
2002年9月に、竹中経済財政担当相の金融担当相兼任が決まったとたん、日経平均は9500円から8400円に下落しました。これは「大きすぎて潰せないという考えは採らない」という竹中発言が作用した結果です。
株価が下がれば、メガバンクは含み損を抱える。そこで自己資本を増強するため、メガバンクは一斉に増資に突っ走った。たとえば、みずほホールディングスは、取引先から1兆円をかき集めた。三井住友はゴールドマン・サックスに1500億円の第三者割り当て、さらに3000億円をやはりゴールドマン・サックスを通じて追加増資することを決めた。
それこそが、竹中さんや日銀、小泉さんの目的だったのです。だって現在起こっている「構造改革」は、日本の銀行と企業を外資に売り渡すことなのですからね。
小泉首相や竹中大臣が、誰のために働いているかという視点で眺めてみると、利益を得るのはアメリカの金融財閥や企業だということが分かります。
- 24投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/25(金)13:39:26
- 特に竹中がやろうとしている銀行の国有化ですが、国有化されたら、その銀行は金融庁の下に入ってくるわけですから、竹中さんが直接に経営者になるわけです。そうなれば、長銀がやったことをもっと大きな規模でやれます。いろいろな企業をまた倒産させられる。それが目的です。
結局その真意は、銀行の取引先企業へ返済を要求し、その企業も倒産させて、ハゲタカ・ファンドに安く提供することでしょう。
こうして日本は確実にクライシスに近づいていると言っていいと思います。ですから突き詰めて言えば、竹中金融大臣の存在自体が問題の源であると思うのです。
そのハゲタカのエージェントよろしく働く竹中らを任命した、小泉首相の力の源泉である個人的な人気を演出したのは、メディアです。このメディアにも、エージェントが多いと思うのです。
小泉さんのメリットになるようなプレゼンテーションばかりで、あまり深く批判しない。アメリカの言う通り「自由化しなくちゃいけない、構造改革しなくてはいけない」などという考え方に乗ったメディアが多いのです。特に「日経新聞」はそうだと思うのです。
- 25投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/26(土)04:31:16
- 新古典派経済学のマクロ経済は、実はミクロ経済なんです。合成の誤謬があって、ミクロで正しいことはマクロで正しくなくなるということがある。
だから、たとえば、時価会計や格付けなどは、ミクロではいいアイデアかもしれないけど、マクロでは経済に相当な悪影響を与えることは当然です。
でも時価会計を導入すると、資産価格の変動性が上がるし、経済全体にブームとその破裂・崩壊が拡大されるのです。それが新古典派の狙いです。
基本的にアメリカ・イギリス型の株主型経済構造は、株式市場をよく使います。しかしドイツや日本型経済構造では、株式市場システムを否定したのです。なぜかというと、株式市場は基本的におカネを作れないんです。ある人から他の人へおカネが移っただけの効果しかありません。
実は企業も、ほとんど株式市場で資金調達していません。株式や社債の発行が市場全体の取引に占めるパーセンテージは、5パーセント未満です。市場の取引の大半は、発行市場ではなく流通市場で、すでに発行された証券が取引されているだけ。社会全体で見れば、完全に無駄でしょう。
しかし今は、橋本政権から小泉政権まで、個人の金融資産を株式市場に振り向けるように頑張っている。たとえばペイオフ制度を導入して、銀行預金の全額は国が保証しなくなる。個人が今まで安全に貯蓄できたおカネを不安にさせ、「投資信託に投資しなくちゃいけない。株式市場に投資しなくちゃいけない」というようなプレッシャーと宣伝、そして経済的インセンティブを与えてきた。
個人の一般の投資家はあまりいい情報を入手できませんから、結局インサイダー情報を持つ大型株主へおカネが移転するだけの結果になります。搾取のために使われるシステムです。
- 26投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/26(土)04:32:12
- 19世紀にも、イギリス系の古典派経済学は間違っていると証明して、新しい国民のための開発経済学を導入した人がいます。ドイツのフリードリッヒ・リストです。彼はドイツから、一時期アメリカに移り住んで、ビジネスをしていた。
そのアメリカで彼は、政府の保護育成でどんどん産業が発達してくるのを、目の当たりにした。その時にリストはいろいろ分析して、実はイギリスも自由市場経済によって世界一の経済大国になったわけではないと証明したのです。つまり、世界経済で成功した国々の中で、自由市場で成功したところは一つもないという分析です。
イギリスもかつて、いろいろな貿易障壁を作ったりして保護貿易を導入するなど、さまざまな産業政策を使って経済的に強くなってきたのです。経済発展したイギリスは、「自由市場経済を導入すべきだ」と盛んに言い出しました。
なぜならこのプロパガンダを世界中に流せば、他の国々は産業政策をやめてしまうかもしれない。だからリストは、保護主義で成功した国はその次には自由貿易のプロパガンダを導入する、という順番があると書きました。
まさにリストの予測どおり、アメリカは1900年に経済的にイギリスを追い越した時、イギリスのプロパガンダにならって「我々は自由市場経済なのです」と、世界中に報道させました。
- 27投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/26(土)15:07:35
- 中央銀行がなかった時期でもアメリカ経済は強かったし、1900年頃にはイギリスを追い越して世界第一の経済大国になった。これは、中央銀行が不可欠な機関ではないということを証明しているのです。
つまりアメリカでは、財務省もおカネを発行できるのです。1963年、ケネディ大統領は財務省に命じて、政府が直接におカネを発行したのです。
財政刺激策を採ろうとして、最初は資金調達を連銀に頼んだところ、連銀が反対した。そこでケネディは、「連銀が反対しても、法律上は政府がおカネの発行を決定できる。やろうと思えば財務省が発行できる」と思いついたのです。
そこで彼は大統領令を出し、財務省にドルを発行させたわけです。お札のデザインは同じでした。ただ名前がちょっと違った。「フェデラルリザーブ・ノート」ではなくて、「ユナイテッドステーツ・ノート」と書いてあったのです。
それと同様に、日本も「日本銀行券」ではなくて「日本国政府券」という名前を入れて、同じデザインで発行すれば間違いない。財務省が直接おカネを作れば、不良債権を全部買い入れて、償還して問題を解決することができる。そして、経済に回るおカネの量を増やせばいいのです。
(「なぜ日本経済は殺されたか」2003年刊 p.205)
- 28投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/28(月)04:43:16
- 2008年9月15日の、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズ社の破綻を契機とした大暴落以降の世界的な株価の壊滅的な崩落は、真にすさまじいものがあった。
2008年11月中旬においては、日経平均株価は、すでに1万円の大台を割り込んで久しく、7000円〜8000円のあたりのところで、不安定に乱高下している。
麻生内閣が策定・実施しようとしている追加経済対策は、真水ベースで4兆円の規模。対GDP比0.76%とされているが、この経済対策における最も主要な施策とされている全国民への定額給付金の配布額は、その総額でみると対GDP比でわずかに0.3%あまりでしかない。
しかもそれが、米国ブッシュ政権の小切手配布策と同様な、一回かぎりだけの線香花火的な施策として策定されているにすぎないようであるから、目に見えるほどの景気回復効果がもたらされるとは思われない。
ケインズ的総需要拡大政策は、線香花火的な一回かぎりのものであってはならず、必ず、年々の「総需要管理政策」の形で持続的に実施されねばならないのである。
- 29投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/28(月)04:44:16
- 過去30年近く、とりわけ「平成不況」が始まってからの十数年というものは、マスコミや論壇を大規模に動員して、わが国の経済について、いかがわしい風説がきわめて数多く広範に流布されてきた。
「従来のケインズ理論と、それによる政策は役に立たなくなった」とか、「公共投資は効果を失った」とか、「グローバルな開放経済では、ケインズ的政策は無効である」とか、「構造改革やリストラを、まずやれ」とか、「消費性向が下がったから…潜在成長率の制約があるから…、複雑系の時代になったから…」等々。
ある説の流行が峠を越えたかと思うと、それに代わって、すぐに新しい説が広められ、それがあきられると、すぐにまた絶妙なタイミングで別の新たな説が登場して流行させられるといった状況が、絶え間なく続けられてきた。
わが国のマスコミは、経済政策問題に関するそのような誤りに満ちたいかがわしい風説を、おびただしく次から次へと、しかもまるで、どこかから綿密な発信指令がなされているかのごとく、絶妙なタイミングで流し続けてきたのである。まさに、これは、マスコミの大犯罪であった。
そして、これらのまことにいかがわしく誤りに満ちたおびただしい風説のことごとくが、すべてケインズ(J.M. Keynes)の政策論を否認し、ケインズ主義的政策の発動を封止しようとする意味合いを持って流されてきたものばかりであったということも、明らかなところなのである。
- 30投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/28(月)10:57:49
- 小泉内閣以降の安倍、福田の両内閣においても、徹底して「構造改革主義」に偏った、総需要拡大のためのケインズ主義的施策をほとんど全面的に拒否したような、そのようなスタンスは、おおむね踏襲されてきたと言ってよいであろう。
政府のこのような政策姿勢の下では、わが国の実体経済が回復しうる可能性はきわめて乏しい。なぜならば、そもそも構造改革政策にはマクロ的に総需要を拡大させるような経済理論的必然性が、ほとんどまったく内含されてはいないからである。
総需要が増えないかぎり、実質GDPが成長することはありえず、わが国の実体経済が再生・再興することもありえない。これは、いかんともしがたい経済学の鉄則である。
1990年代において、わが国の歴代内閣は毎年、「緊急経済対策」として十兆ないし十数兆円規模の公共投資などによる総需要拡大政策を実施したことになっている。
「にもかかわらず、景気を回復させる効果はほとんど無かった」として、「だから、ケインズ的な総需要拡大型の財政政策は、現在の日本では無効になっている」、「ケインズ理論で言う乗数効果や有効需要の原理は、今では作動しなくなってしまっているのだ」とする思い込みが、1990年代の半ば以降、エコノミストばかりではなく、マスコミや国民各層の識者たちにも広く信じられるようになり、ニヒリスティックな「通念」となってしまったわけである。
- 31投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/28(月)10:58:51
- 近年、わが経済政策当局がケインズ的な総需要政策を放棄して、もっぱら新自由主義的・新古典派経済学的な、民営化、規制緩和、不良債権処理、リストラ等々の「構造改革」と称する政策パターンに依拠するにいたった主要な理由づけも、まさにこのような「通念」によるものであった。
しかし、実は、そういった「乗数効果や有効需要の原理は作動しなくなってしまっている」とする「通念」は、はなはだしい誤りである。
「自生的」(じせいてき、autonomous)な有効需要支出は、「@民間投資支出額+A純輸出+B政府支出額」というGDP勘定に計上されている3つの最終有効需要項目の支出額を合計した指標である。
これが基本的な独立変数となって「乗数効果」を作用させ、年々のGDPを形成させていると考えてきたのがケインズ的な「有効需要の原理」である。
有効需要支出とは、「生産された財貨・サービスを実際に買う支出」という意味である。
したがって、株式や諸種の派生金融商品などの金融資産は「生産された財貨・サービス」ではないから、その購入額は、ここで言う有効需要支出としての「民間投資および公共投資」には含まれない。
土地も「生産された財貨・サービス」ではないから、その購入額も算入されていない。このことは、国民所得勘定・GDP勘定の大原則である。
- 32投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/29(火)04:50:13
- 1970年度から2005年度までの、GDPの伸び率と政府支出の伸び率を比較してみる。
まず見逃してはならないのは、GDPの伸び率に比べて政府支出の伸び率のほうが低いことが通例であったということである。
つまり、政府支出に肥大化傾向などは見られないのである。したがって、「政府支出が肥大化してきたのが日本経済の癌である」などと叫んできたマスコミ好みの「通説」も、はなはだしい誤謬であったということがわかる。
わが国の1970年度から2005年度までについて、長期的にまとめてみたり、あるいは、幾つかの期間に区切って観察したりしてみているわけであるが、そのいずれにおいても、最終需要ベースのトータルとしての「自生的有効需要支出額」の伸び率と、GDPの伸び率とが、驚くほどぴったりと、よく近似・合致しているということが、顕著な特徴となっている。
しかも、「自生的有効需要支出額」を構成してる前記3項目の相対的シェアがかなり変化した場合であってさえも、常によく近似・合致しているのである。「平成不況期」に入った1990年代以降について見ても、「自生的有効需要支出額」の伸び率が低くなっているのに比例して、GDPの伸び率も低くなってしまっているのである。
つまり、「平成不況」は「構造不況」などではなく、ただ単に、トータルとしての「自生的有効需要支出額」が低迷してきたという「需要要因」によってのみ生じた不況であったにすぎないのである。
- 33投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/29(火)04:51:19
- つまり、これが物語っていることは、たとえば5年なり10年なりのあいだに、「自生的有効需要支出額」が、その内的な構成比がどうなろうとも、そのトータルとしての年額が仮に1.5倍、あるいは2.0倍に伸ばされたとすれば、GDPの年額も同じ時期に、同じく1.5倍あるいは2.0倍前後に成長することが確実であるということである。
すなわち、そのようなケインズ的な「有効需要の原理」により確固としたプロセスを用いれば、わが国の経済は輝かしい繁栄と力強い成長を、簡単かつ容易に実現しうるということなのである。
このことは、国の内外でサブ・プライム問題などで金融の大混乱といったことが起こっていようとも、そのようなこととは関係なく確実に妥当するわけである。
この事実は、バブル期(1988→90年)も例外ではなかった。あのバブル期には、マネー・ゲームの盛行とは裏腹に、「自生的有効需要支出」の伸びは案外に低く、したがって、GDPの伸びもそれほどではなかったのである。
つまり、年額200兆円前後の「自生的有効需要支出額」から「乗数効果」で300兆円前後の民間消費・家計消費が誘発され、合計で年額500兆円前後のGDPが形成されてきている。
したがって、乗数値は約2.5(500÷200=2.5)ということになる。このような「乗数効果」のプロセスが、過去三十数年さかのぼって観察してみても、種々様々な混乱や衝撃に耐えて、常に変わりなく、しっかりと働いてきているということを示しているのである。
すなわち、ケインズ的「有効需要の原理」は、しっかりと作用しているのである。これは重要きわまることであると言わねばならない。要するに、「通念」はまったく間違っているのである。
- 34投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/29(火)11:21:32
- ここまで観察してくると、宮澤政権以降の歴代内閣の「経済政策」が、なぜ「平成不況」克服への効果に乏しいと感じられたのかという理由が明白になる。
すなわち、宮澤内閣が1992年度に策定・実施した「緊急経済対策」以降の各年度の「経済対策」は、いずれも大規模な施策であるかのごとく装ってはいたものの、結局のところは、トータルとしての「自生的な有効需要支出額」を所定の経済成長率の達成に必要な倍率で増加させようとする明確な目的意識を持って策定されたものではなかったのである。
つまり、それは、「乗数効果が微弱化して、有効需要の原理が作動しなくなったからだ」と思い込んでいる「通念」とはまったく違って、ただ単に、各年度の「経済対策」を、「真水ベース」では意外に小規模なものとしてしか実施してこなかったということ、すなわち、最も根本的かつ決定的な独立変数であるトータルとしての「自生的有効需要支出」の年々額を、横ばいに近い停滞状態から「増やすことを怠ってきた」ということにすぎなかったのである。
「有効需要の原理」に目をふさぎ、それを認識することを拒み続けてきた、そのような不条理な政策スタンスがわが国経済にもたらした惨害は、想像を絶して甚大であった。
この大惨害に対して、「構造改革」政策は、まったくの無力かつ不毛であった。
- 35投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/29(火)11:22:42
- 「反ケインズ主義的」な「構造改革」政策がもたらしてきたところの、トータルとしての「自生的な有効需要支出」の実質額が横ばい状況を脱しておらず、それに照応して実質GDPもほとんど伸び得ないでいるといったゼロサム・ゲーム的な状況下での競争経済では、勝ち組は負け組を食いころすことによってのみ勝ちうるわけであるから、弱肉強食の修羅場が現出し、貧富の格差がはなはだしいものとなってしまっている。
これを是正するには、ケインズ的政策によって、プレーヤーたちがみな利得しうるような、「右肩上がり」のポジティブ・サム・ゲームの経済にしなければならないわけである。要するに、わが国の基本的経済戦略として、ケインズ的なマクロ有効需要政策が、ぜひとも必要なのである。
それを放棄・封止して、新自由主義的・新古典派経済学的な「反ケインズ主義」のミクロ手法による供給サイド型「構造改革」政策を選択してきたことが、根本的な誤りであったのである。
- 36投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/30(水)04:48:47
- 重要なことであるので述べておくことにするが、実は20世紀の半ばごろより近年まで、財政政策のための財源は租税や国債ではなく、「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage セイニャーリッジ権限)に依拠すべきだとする政策提言が、ラーナー(A.P. Lerner)、ディラード(D. Dillard)、ブキャナン(J.M. Buchanan)、スティグリッツ(J.E. Stiglitz)といったノーベル賞級の巨匠経済学者たちから、繰り返しなされてきているのである。
通貨に関する基本法である「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年、法律42号)では、「貨幣」の製造および発行の権能が政府に属するという「政府の貨幣発行特権」がはっきりと明記されており、その発行には何らの上限も設けられておらず、政府はそれを何千兆円でも発行することができ、担保も不要とされているのである。
しかも、発行された「政府貨幣」の額は、政府の負債として計上されることもない。その発行額は政府の正真正銘の財政収入となる。
(丹羽春喜「政府貨幣特権を発動せよ。」2009年刊 p.72)
- 37投稿者:ヽ(´ー`)ノ 投稿日:2022/03/30(水)04:49:37
- わが国の現行の法令体系にごく素直に則って、この「打ち出の小槌」財源を活用しようと思うならば、政府が、必要な所定額の「政府紙幣」をも含む「政府貨幣」を、造幣局または国立印刷局で鋳造あるいは印刷して製造し、それを前記の「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」の第4条2項および3項の規定どおりに日銀に交付し、それに相当する金額を、日銀が政府の口座に電子信号で振り込むことにすればよいわけである。
過去四半世紀、わが国は超膨大な潜在実質GDPを空しく失ってしまったのである。この苦い経験を反省するならば、どうしても、総需要政策の不十分や、上方あるいは下方への暴走を防止するための「歯止め」が要る。
この「歯止め」は、デフレ・ギャップやインフレ・ギャップを常にモニターしつつ(これまでわが政府はそれを怠ってきた)、これに立脚して年々の総需要管理政策を合理的に国会で審議・決定するという制度、すなわち、いわゆる「国民経済予算」の制度を確立することによって行われるべきである。
「市場経済」にこの「国民経済予算」の方式を結び合わせた制度こそが、人智のおよぶかぎり、最善の経済システムなのである。