平成経済
1投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/17(木)10:52:56
平成
1989年1月8日 – 2019年4月30日
33投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/29(火)04:51:19
つまり、これが物語っていることは、たとえば5年なり10年なりのあいだに、「自生的有効需要支出額」が、その内的な構成比がどうなろうとも、そのトータルとしての年額が仮に1.5倍、あるいは2.0倍に伸ばされたとすれば、GDPの年額も同じ時期に、同じく1.5倍あるいは2.0倍前後に成長することが確実であるということである。

すなわち、そのようなケインズ的な「有効需要の原理」により確固としたプロセスを用いれば、わが国の経済は輝かしい繁栄と力強い成長を、簡単かつ容易に実現しうるということなのである。
このことは、国の内外でサブ・プライム問題などで金融の大混乱といったことが起こっていようとも、そのようなこととは関係なく確実に妥当するわけである。

この事実は、バブル期(1988→90年)も例外ではなかった。あのバブル期には、マネー・ゲームの盛行とは裏腹に、「自生的有効需要支出」の伸びは案外に低く、したがって、GDPの伸びもそれほどではなかったのである。
つまり、年額200兆円前後の「自生的有効需要支出額」から「乗数効果」で300兆円前後の民間消費・家計消費が誘発され、合計で年額500兆円前後のGDPが形成されてきている。
したがって、乗数値は約2.5(500÷200=2.5)ということになる。このような「乗数効果」のプロセスが、過去三十数年さかのぼって観察してみても、種々様々な混乱や衝撃に耐えて、常に変わりなく、しっかりと働いてきているということを示しているのである。

すなわち、ケインズ的「有効需要の原理」は、しっかりと作用しているのである。これは重要きわまることであると言わねばならない。要するに、「通念」はまったく間違っているのである。
34投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/29(火)11:21:32
ここまで観察してくると、宮澤政権以降の歴代内閣の「経済政策」が、なぜ「平成不況」克服への効果に乏しいと感じられたのかという理由が明白になる。

すなわち、宮澤内閣が1992年度に策定・実施した「緊急経済対策」以降の各年度の「経済対策」は、いずれも大規模な施策であるかのごとく装ってはいたものの、結局のところは、トータルとしての「自生的な有効需要支出額」を所定の経済成長率の達成に必要な倍率で増加させようとする明確な目的意識を持って策定されたものではなかったのである。

つまり、それは、「乗数効果が微弱化して、有効需要の原理が作動しなくなったからだ」と思い込んでいる「通念」とはまったく違って、ただ単に、各年度の「経済対策」を、「真水ベース」では意外に小規模なものとしてしか実施してこなかったということ、すなわち、最も根本的かつ決定的な独立変数であるトータルとしての「自生的有効需要支出」の年々額を、横ばいに近い停滞状態から「増やすことを怠ってきた」ということにすぎなかったのである。

「有効需要の原理」に目をふさぎ、それを認識することを拒み続けてきた、そのような不条理な政策スタンスがわが国経済にもたらした惨害は、想像を絶して甚大であった。
この大惨害に対して、「構造改革」政策は、まったくの無力かつ不毛であった。
35投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/29(火)11:22:42
「反ケインズ主義的」な「構造改革」政策がもたらしてきたところの、トータルとしての「自生的な有効需要支出」の実質額が横ばい状況を脱しておらず、それに照応して実質GDPもほとんど伸び得ないでいるといったゼロサム・ゲーム的な状況下での競争経済では、勝ち組は負け組を食いころすことによってのみ勝ちうるわけであるから、弱肉強食の修羅場が現出し、貧富の格差がはなはだしいものとなってしまっている。

これを是正するには、ケインズ的政策によって、プレーヤーたちがみな利得しうるような、「右肩上がり」のポジティブ・サム・ゲームの経済にしなければならないわけである。要するに、わが国の基本的経済戦略として、ケインズ的なマクロ有効需要政策が、ぜひとも必要なのである。

それを放棄・封止して、新自由主義的・新古典派経済学的な「反ケインズ主義」のミクロ手法による供給サイド型「構造改革」政策を選択してきたことが、根本的な誤りであったのである。
36投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/30(水)04:48:47
重要なことであるので述べておくことにするが、実は20世紀の半ばごろより近年まで、財政政策のための財源は租税や国債ではなく、「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage セイニャーリッジ権限)に依拠すべきだとする政策提言が、ラーナー(A.P. Lerner)、ディラード(D. Dillard)、ブキャナン(J.M. Buchanan)、スティグリッツ(J.E. Stiglitz)といったノーベル賞級の巨匠経済学者たちから、繰り返しなされてきているのである。

通貨に関する基本法である「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年、法律42号)では、「貨幣」の製造および発行の権能が政府に属するという「政府の貨幣発行特権」がはっきりと明記されており、その発行には何らの上限も設けられておらず、政府はそれを何千兆円でも発行することができ、担保も不要とされているのである。
しかも、発行された「政府貨幣」の額は、政府の負債として計上されることもない。その発行額は政府の正真正銘の財政収入となる。
(丹羽春喜「政府貨幣特権を発動せよ。」2009年刊 p.72)
37投稿者:ヽ(´ー`)ノ  投稿日:2022/03/30(水)04:49:37
わが国の現行の法令体系にごく素直に則って、この「打ち出の小槌」財源を活用しようと思うならば、政府が、必要な所定額の「政府紙幣」をも含む「政府貨幣」を、造幣局または国立印刷局で鋳造あるいは印刷して製造し、それを前記の「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」の第4条2項および3項の規定どおりに日銀に交付し、それに相当する金額を、日銀が政府の口座に電子信号で振り込むことにすればよいわけである。


過去四半世紀、わが国は超膨大な潜在実質GDPを空しく失ってしまったのである。この苦い経験を反省するならば、どうしても、総需要政策の不十分や、上方あるいは下方への暴走を防止するための「歯止め」が要る。
この「歯止め」は、デフレ・ギャップやインフレ・ギャップを常にモニターしつつ(これまでわが政府はそれを怠ってきた)、これに立脚して年々の総需要管理政策を合理的に国会で審議・決定するという制度、すなわち、いわゆる「国民経済予算」の制度を確立することによって行われるべきである。

「市場経済」にこの「国民経済予算」の方式を結び合わせた制度こそが、人智のおよぶかぎり、最善の経済システムなのである。
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